王様 meets キング

今朝方の夢の話。


ワタシは、けっこう広いマンションに住んでいるらしかった。
3LDKくらいだが、ひとつひとつの部屋が大きくて、広いベランダも2箇所にある。
1箇所はリビングの窓の外で、南向きのよう。
もう1箇所は他の部屋で、西向きらしい。
撮影スタジオみたいな、マンションの部屋だった。


ワタシは、いっちゃんはリビングのベランダで日向ぼっこをしていると思っていた。
日差しが暑くきつくなってきたので、そろそろいっちゃんも部屋に入ったほうが良いと思い、ベランダに迎えに行ったけど、いっちゃんはいない。
あれ?と思いつつ、西側のベランダも見に行ったけど、やっぱりいない。
部屋の中だったかと、あちこち捜したけれど、どこにもいない。


また最初から2箇所のベランダを捜し、部屋の中じゅうを捜したけれど、やっぱりいない。
どこに行っちゃったんだろうと不安になってきて、そうしたら突然に、いっちゃんはもうアチラの世界に引越しをしたのではなかったか・・・と思った。
けれど、はっきり思い出せない。
ずっと昔に、アチラの世界にいっちゃんを見送った記憶があるような気もするし、ついさっき、ベランダに歩いて出て行くいっちゃんの後姿をはっきりと見たような気もする。


どちらも本当の気がして、途方に暮れた。
怖くてじっとしてられず、もう一回、捜すことにした。
リビングのベランダに出ると、日差しが眩しい。
そういえばいっちゃんは、体調が良くなかったのではないか。
体調が良くないときに、こんなに暑いベランダに出してはいけなかったんだ。
いっちゃんはイヤがっていたのに、ワタシが抱っこしてベランダに出したような気もする。
それが原因で、アチラに逝ってしまったのかもしれない。
どうしようどうしようと思いながらもう1箇所のベランダを見て、家中を捜し、またリビングに戻ってきたとき、いっちゃんがベランダから部屋の中に入ってきた。


茶トラ白の、筋肉質で大きな身体で、悠々とこちらに歩いてくる。
いっちゃんの顔がすぐ近くまできた。
完璧なドロボウ柄で、ふっくら丸い輪郭の、いつものいっちゃんの顔だった。


やっぱりいっちゃんは生きていた。
安心して力が抜けつつ、抱き上げようとしたところで目が覚めた。




・・・あ?
触ってない!
まだ王様を触ってなかったのに~!!!!!!!!!!!!!
もうちょっとだったのに、惜しかった。
・・・って、これっていつものパターンだよ。
抱っこしようとすると目が覚める。
王様、相変わらずサービスが半端だなあああああ。


bar


19歳で慢性腎不全が発覚するまでは、風邪ひとつ引いたことがないいっちゃんだけれど、肛門腺が破裂してお尻に大穴が開いたことが2回もあった。
先日もちらっと書いたけど、一時期ワタシは清志郎さんの近所に住んでいたことがあって、何度か姿を見かけたことがある。
家の前の道端で、まだ小さかったお子さんと遊んでいたか、なんとなくそこらを見ていたか、そんな様子だった。
休日、リラックスしているときにジロジロ見られるのは嫌だろうと思い、「あ。キヨシローだ!」と思いつつ、ワタシはいつも前方だけを見ながらとっとと通り過ぎていた。
当然だけど、清志郎さんがただの通行人のワタシに視線を向けたこともないと思う。


いっちゃんの肛門腺が最初に破裂したのは、清志郎さんの近所に住んでいた時期で、清志郎さんの家は、当時いっちゃんがかかっていた獣医さんへ行く途中にあった。
その頃ワタシはキャリーを持っていなくて、いっちゃんを袋状のバッグに入れて、バッグごと抱っこしながら、歩いて清志郎さんの家の前を通り、獣医さんに通ったのだった。


獣医さんに行くときいっちゃんは、あおーんあおーんと不満を表明しながら、いつも袋の隅で小さく固まっていたのだが、一度、いっちゃんがバッグから頭をピョコンと出して外の景色を眺めつつ「あおーんあおーん」と絶叫という日があった。
その状態で清志郎さんの家の前を通ったときに、ちょうどと言うかたまたまと言うか、清志郎さんが外に居た。
真昼間の住宅街、通行人もほとんどいない道に清志郎さんがぼーっと立っていたので、その姿がいっちゃんの目を引いたのか、絶叫しつつ遠慮なく清志郎さんを見るいっちゃん。
いっちゃんにつられてワタシもそちらを見ると、清志郎さんもいっちゃんを見ていた。


ほんの一瞬だけれど、いっちゃんと清志郎さんの視線が交差した(と思う)。
ときおり清志郎さんを見かけるとはいっても、何十回も家の前を通って、数回見たという程度でしかなかったのに。
袋から頭だけ出した猫が絶叫しながら運ばれていくので、清志郎さんはなんとなく見ただけだろうけれど。
清志郎さんの記憶にも、いっちゃんの記憶にも残らなかったであろう、ただの通りすがりの一瞬だったけれど。


のちに、日本のキング・オブ・ロックと呼ばれる清志郎さんと、ぎゃおす王国に君臨するいっちゃん。
キングと王様の視線が交わった瞬間だった。


イェーイ!!


↓いっちゃん9歳。
キングと視線を交わした頃。
199232





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ほんとのことを言うと、ワタシは忌野清志郎さんを大好きというほどではなく、特にRCサクセションにはあまり興味がなくて、レコードやCDを買ったこともない。
人から借りてテープにダビングしたものはいくつかあって、タイマーズだけは好きで随分と聴いたけれど、それ以外はそうでもなかった。
だから清志郎を見かけても、コーフンして抱きつくような狼藉をはたらかずに済んだし、清志郎がコチラの世界から脱皮したニュースを聞いたときにも、とてもびっくりはしたけれど、悲しくて悲しくて・・・ということはなかった。


しかし日が経つにつれて、清志郎の不在がボディブローのようにきいてきた。
今夜もどこかのステージで、走り回りながらマイクを振り回しているような気がするのに。
清志郎がいないというのは現実感がなくて、しかしタイマーズを聴いているうちにだんだんと、本当にもうアチラにいってしまったということが心のどこかに染みこんできて、そうしたら世の中の色があせてきた。
好き嫌いとは別の次元で、『ニッポンには清志郎がいる。清志郎が歌っている。』ということが、ワタシに何らかの影響があったらしいことに自分でも驚いている。


ジョニー・サンダースが亡くなったときにも、フレディ・マーキュリーが亡くなったときにも、世界がつまらなくなって色あせていくような気持ちがした。
いっちゃんのときには色あせたどころではなく、すべての色が抜け落ちて世界はモノトーンになり、豪華絢爛だった王国が崩壊したけれど。


そんなコチラの事情はさておいて、いっちゃんも清志郎も、今はカラフルでピカピカの世界で、ニコニコ歌い暮しているのだろう。
虹の上をダーっと走りながら歌い、ジャンプする清志郎を想像すると、とても楽しそうだと思う。
そんな姿が、とてもよく似合っていると思う。
清志郎も、清志郎の音楽も不滅だな。


イェーイ!


でもやっぱり寂しいなあ・・・。


↓YouTubeにアップされたアルカイダーズ。
タイマーズどころではないのだ。
テレビカメラが5台はいっていたそうだが、ライブはカットだらけだったらしい。
そりゃそうだろう。




のちに清志郎はインタビューで、「何も変わらなかった。怒りを音楽で表現するのは虚しい。」と語ったたそうだ。
たしかに、音楽で政治は変わらないだろう。
金やら権力やら利権やらがグチャグチャに絡み合ってて、誰にもどうにもできそうにない。
けれど、音楽には個人の価値観を変える力がある。


ワタシは、政治に頭やら足やらを突っ込んだミュージシャンは好きじゃない。
ついでに、啓蒙という言葉も好きではない。
とんでもなく上から目線でいやらしい。
タイマーズはそういうのではぜんぜんなくて、ただ単純にストレートに、個人的に怒っていて、歌いたいことを歌っているだけだと思う。


原爆記念日の広島平和コンサートでは、「放射能で死ぬくらいなら麻薬中毒で死にたいぜ!」と叫んでいた。
まったく同意、ワタシもそう思う。
そんなことテレビカメラの前で言える日本人は、清志郎の他にもいるのかな。

— posted by hipi at 11:39 pm  

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2009.5
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