くりくりがわざわざ有名店でケーキを買ってきてくれたけど、くりくりは自分がその店のケーキを食べてみたかったらしい。
以前から何度か話題していたからな。
クリスマスってことで、奮発して購入したようだ。
ぎゃおす長屋のクリスマスは、夕ご飯の後に有名店ケーキを食べて、それでおしまい。
あとはまったく普通の1日で、特別なことは何もない。
それで上出来。
普通の1日に感謝のクリスマス。
若いときのワタクシは、
「クリスチャンでもない人たちがなんで大騒ぎしているの?けっ。」
などと思っていた。
今は、ぜんぜんそういうふうには考えない。
本物のクリスチャン以外の人にとっては、ニッポンではクリスマスは聖なる日ではなく、一種のお祭りのようになっている。
お祭りなのだから、みながそれぞれ楽しめばいいと思う。
クリスチャンではない人たちが楽しんでも、気を悪くする神様はいないだろう。
だから、街中やテレビなどで、クリスマス~ワッショイワッショイ♪なんて光景を見ても、
「これでいいのだ」って思えるようになった。
平和だからこそ、こういうこともできるのだから。
私の父と母もクリスチャンではないけれど、私が小さかった頃は、母がチカチカ光る豆電球で部屋の中を飾り付けて、父がツリーを立てて、プレゼントをもらってチキンとケーキを食べた。
クリスマスというのは、ワクワクする日だった。
子供の頃の、楽しい記憶。
家ではチカチカ豆電球、外ではキラキラのイルミネーション。
単純に、景色も綺麗だ。
子供たちはキラキラにワクワクし、親の愛と子供としての立ち位置を再確認して、満足をする。
若い人たちは友人と騒いだり、愛だの恋だので盛り上がったり盛り下がったりで、やはり騒ぐのに忙しい。
お父さんやお母さんたちは、かつての私の父母がしてくれたように、子供たちを喜ばす準備で忙しい。
しかし子供がいなかったり、子供がすっかり大人になってしまうと、年々、クリスマスのイベント感は薄れていく。
残業中に、「あ?今日はクリスマスか。」って気がつく人もいるだろう。
気分だけでもってことで、ケンタッキーでチキンを買って帰る人もいるだろうな。
昔の私のように、「けっ。なにがクリスマスだ~オレはニッポンジンだ~。」なんて酒を飲む人もいると思う。
いつものように帰宅して、いつものように風呂に入って、いつものように寝る人もいるだろう。
全部ひっくるめて、ニッポンのクリスマスってことでアリだと思う。
そんなふうに考えるようになってから、私はクリスチャンではないけれど、クリスマスには平和に感謝して平和を願う日になっている。
戦争をしていなくて良かったな。
みんなが好きにクリスマスできる国で良かった。
くりくりも有名店のケーキが買えたしな。
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なんて、ああワタクシも年を取ったものです。
肩こりがひどいしさあということで、スポーツクラブに行ってみれば。
プールではいつもの面々(主に50代~70代)が、皆さんお揃いで元気に泳いでいらっしゃる。
で、お互いに、「クリスマスなのに暇ね~」「どうせアナタもね~」なんて楽しくののしり合いながら、バシャバシャやっているのであった。
ああ、平和だ・・・。
えがったなあ~。
らくさんのスゲい顔も、いつも通りの1日だった。